“Dream I”。このコーナーには、毎回、夢に向かって生きているひと、困難を乗り越えて夢を実現させたひと、さまざまな分野で頑張っているチャレンジ精神いっぱいの方々が登場してくれます。
11回目のゲストは、お笑芸人・U字工事のおふたり。『M-1グランプリ』では、5年連続で準決勝に進出し、2008年には決勝進出を果たすなど、ノリに乗っているコンビです。そんなU字工事が掲げる夢は……、
地元愛にたっぷりの「北関東の星」に、ドリームアイ!

いきなりなんですけど、U字工事というネーミング、どんな意味があるんですか?
益子:いや、深い意味はぜんぜんないです。
福田:高校の友人が思いつきで、黒板に書いた、ただそれだけの名前です。あとでその友人に聞いたら、理由はおろか名前を提案したことすら覚えていなかった(笑)。だから意味も由来もありません。
−すると高校のころから、漫才をしていたわけですか。
福田:高校のころ、部活の先輩にいわれて漫才を始めました。それがきっかけで昼休みの教室で友人誘って自主ライブをしようと思ったんですが……
益子:誰も一緒にやってくれなかった。
福田:そう。で、結局、最後に声をかけた卓郎だけが協力してくれたんです。
益子:まあ、なんとなくOKしてしまいました。
−なんで益子さんが最後だったんですか?
福田:え?いや、もっと面白そうな人がほかにいっぱい、いたから。
−いずれにせよ、高校の教室ライブがU字工事の原点であるわけですね。ちなみにお二人が初めて出会ったのはいつですか?
福田:やはり高校のころです。最初は掃除の班がいっしょでした。
益子:教室掃除が、二人の初共同作業でしたね。
−お互いの第一印象は?
福田:物静かな人だなあ、という程度かな。
益子:席は近かったけど、第一印象は、正直、覚えていない。後ろ頭に寝グセがあったイメージしかないです。
福田:さびしいですね。まあ、あいうえお順の座席でしたから、益子の方が後ろなんですよ。それで、後ろ頭の印象が強かったのでは。
益子:あ、でも『スク−ルウォーズ』のビデオを貸したのは覚えてる!ラグビー部なのに、全編を見たことないっていうから、そりゃ、おかしいぞって貸した記憶がある。
福田:益子は『スクールウォーズ』が大好きだったからな。
−今年でコンビ結成9年目ですが、改めてお互いのことを評価して頂けますか。
益子:いつも思うんですが、とにかく変わってます。なにより思考回路が常人とは違う。漫才の最中も、予想外のツッコミが来て、(そこかよ!!)って、びっくりさせられることも多いです。
福田:卓郎は、人としてしっかりしていることはありがたいんですけど、まじめすぎて疲れることもあるなあ。

−ところで、二人の原点である教壇でのライブの評判はいかがでしたか?
益子:ぜんぜんウケなかったですね。最初は、俺がツッコミ役。今とは反対でしたが……
福田:"なんでだよ!"ぐらいしかいわなくて、つまんなかったのでポジションチェンジしました。それでも「おめえら、つまんねぇなあ。もっと面白いの、やれや」と言われていましたね
−同級生からダメだしされていたわけですか。よく続きましたね。
益子:まあ、暇だったんで。日課みたいになっていました。
福田:なにより、漫才自体が楽しかったから。
−するとお二人とも子供のころからお笑いは好きだったわけですね。小学校や中学校のころには、どんなことに熱中していましたか?
益子:お笑いは好きでした。ネプチューンさんの深夜ラジオなんかは必ず聞いていたしなあ。でも、なによりプロレスが大好きだった。中学校までは「プロレス、おもしれーなあ。やっぱプロレスラーになるっぺ」と本気で思っていましたから。プロレス雑誌を見て、新日本プロレスの練習メニューを知り、一日千回のスクワットをしたこともありましたね。結局、身長が思ったほど伸びなくて諦めたんですけど。
福田:あんまり熱中していたことはないですけど、小学校のころやっていたことといえば、バイオリンですかね。でも、そんなに好きじゃなかった。というか、毎日泣きながら通っていました。結局、はじめたその年のうちにやめちゃいましたね。一方、お笑いは好きでしたね。当時は『笑点』の前座までしっかりチェックしていました。

−そんなお二人が芸人になることを志したきっかけを教えていただけますか?
益子:高3のとき、演芸番組の素人コーナーのオーディションに受かったのがきっかけですね。その後も薫に誘われて同じ大学に入学したこともあって、学生になってからもお笑い関連のライブや事務所のオーディションを受け続けていました。
福田:まあ、一度の成功で勘違いしちゃったんですよ。
益子:それでも学生のころは、お笑いで食っていくとは決めてたわけじゃない。なんとなく続けていた、そんな程度でしたね。
福田:というか、その時は、お笑い芸人として生きると決断するのが怖かったんです。
−それでも大学を卒業するころには、アミーパークに所属されてたんですよね。
益子:そのころには芸人になることを決め、改めて大手プロダクションのオーディションを受けまくったんですが……
福田:実は、アミーパーク以外は全部だめでした。

大学生のころからマグネシウム研磨を行う工場でアルバイトを続けた二人。10年あまり続けたというだけに「あいさつの大切さや朝食の重要さを学ぶことができました」 (益子) 「どんな仕事でも、まじめに一生懸命取り組む必要があるということを実感させてくれました」 (福田) など、学べたことも少なくない様子です。「もし、またアルバイトするとしたら・・・・・・やっぱりあの工場にもどるでしょ」 (益子)